狂の英雄、吉田松陰

小人が恥じるのは自分の外面である、
君子が恥じるのは自分の内面である。
人間たる者、
自分への約束をやぶる者が
もっともくだらぬ。
死生は度外に置くべし。
世人がどう是非を論じようと、
迷う必要はない。
武士の心懐は、
いかに逆境に遭おうとも、
爽快でなければならぬ。
心懐爽快ならば人間やつれることはない。

そうそうたる英雄豪傑を輩出した松下村塾で有名な吉田松陰ですが、塾長のイメージからか書生のようなイメージをお持ちの方も多いかもしれません。
ところがどっこい、そういったイメージとは違いものすごい豪傑だったようです。
黒船来航の時、鎖国真っ只中、皆が黒船の威容に肝をつぶしている時に、「これぞ、千載一遇の好機。西欧諸国を見分出来る絶好の好機ではないか」と、小舟で艦隊に横付けし黒船のデッキに乗り込みます。
当然追い返されるわけですが、ペリー提督は大変驚いたそうです。
それも当然と言えば当然の事で、追い返されれば死罪・牢獄間違いなし、そして十中八九追い返される事を分かった上で乗り込んできているのですから、その無私の心と勇気には心底感嘆したでしょう。
「侍は生まれるのではない。つくるのである」という言葉もありますが、松陰の人格形成に大きな影響を与えた叔父の玉木文之進について、抜粋文を入れてみました。

ある夏のことである。その日は格別に熱く、野は燃えるようであった。暑い日は松陰は大きな百姓笠をかぶらされた。この日もそうであったが、しかし暑さで顔中が汗で濡れ、その汗のねばりに蠅がたかってたまらなく痒かった。松陰はついに手を挙げて掻いた。それが分之進の目にとまった。折檻がはじまった。この日の折檻はとくにすさまじく、「それでも侍の子か!」と声をあげるなり松陰を殴り倒し起き上がるとまた殴り、ついに庭の前の崖へ向かって突き飛ばした。松陰は崖から転げ落ち、切り株に横腹を打って気絶した。(死んだ)と、母親のお滝は思った。お滝はたまたまこの不幸な現場を見ていたのである・・・・。この現場を見て肝をつぶしたであろう。しかし、玉木文之進に教育が任されている以上、とやかくいうことはできない。お滝はこのとき、文之進にきこえぬよう、ちょうど祈るように、「寅や、いっそお死に。死んでしまえばいいのに」と、つぶやき続けた。 

時代背景を考慮しましても、すさまじいスパルタ教育です。
ただ、松陰は生涯において絶望することがなかった人物だったと言われており、何度も牢獄に入れられておりますが、その際も
「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」
(このようなことをすれば、そうなることは分かっていたが、それでもやらずにおれなかったのは日本を想う心からなのだ)
とカラリと言ってのけたというのですから、凄い人物です。
また「諸君、狂いたまえ」と次の世代に向けて言葉を残したとも言われていますが、大きな変革者というのは、大なり小なりこういった側面を持っているのかもしれません。
到底及ぶことはできませんが、せめて、常に心懐爽快で仕事にあたれるように頑張っていきたいと思っています。


By Admin|2014年7月15日|2014年,ニュースリリース|


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