あの大惨事から6年の月日が流れました。しかしいまだに2,550人余の行方が判らぬままであると聞きます。地震の揺れの怖さはもとより、海に囲まれた島国は、津波の脅威から逃れることは出来ないと思い知らされたのでした。
東北各地の被害に比べれば微々たるものでしたが、筆者の自宅近辺でも地盤の液状化で道路がひどい状態になりました。車道の端には激震の痕が残っていて、アスファルトがシワ寄せしたように波打っています。
しかしその痕跡さえも、今では見慣れた当たり前の光景になってしまって、当時の緊迫した空気をすっかり忘れて暮らしている自分に気付くのです。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とはよくぞ言ったもので、人間は本当に忘れっぽい生き物です。それが生きるための本能に因るものだとしても、激しい揺れで怖い思いをして、その後1か月余はインフラや物流の混乱であれほど苦労したというのに。また、いつ、同じようなことが起きるか分からない、それどころか次は本当に街ごと潰れてしまうかもしれないと、頭の隅では解っているのですが、感覚は年々、鈍っていきます。
一方で、当時のことを絶対に忘れることが出来ない人々もいます。忘れないというより、現在も続く被害の真っただ中にあるのかもしれません。家族や友人が行方不明のまま、失った日常を取り戻せぬまま、6年経った今でも震災は終わっていないのだという、その人々の切実な訴えを、他人ごとのように傍観していては駄目なのだと、自分に言い聞かせるこの頃です。