“スイス銀行”の正体

『ボーン・アイデンティティー』というサスペンス映画で、主人公が、スイス、チューリッヒの
ゲマインシャフト銀行を訪ねて、自分が契約しているはずの貸金庫を開けるのに、手こずってしまう
シーンがあります。
窓口で求められるのは署名ではなく、十数桁のアカウント番号。
手書きで書いて照合する(本人手書きのデータが登録されている)。
担当スタッフが金庫を運んで来る間、鍵の掛かった個室で待たされる(お酒まで用意してある!)。
廊下でもエレベーターでも、他の顧客の姿は一切見られない。
一般の銀行とは明らかに様子が違う、極めてプライベートな空間として造られており、セキュリティ
の目が来訪者に集中しているのが分かる。
主人公は記憶喪失であるために、挙動が少しおかしくなります。
その結果、スタッフに怪しまれ、追っ手を掛けられて、見せ場のアクションが始まります。
・・・物語に登場する“ゲマインシャフト銀行”なる金融機関が実在するのかどうかは知りませんが、
要は、いわゆる“スイス銀行”を象徴的に表す、芝居の道具になっているのですね。

映画や小説に登場する“スイス銀行”とは、スイスに本拠店を置き、「スイス銀行法」に基づいて運営
されているプライベートバンクを指す総称なのであって、「スイス銀行」という名の銀行があるわけ
ではありません。
プライベートバンクとは、18世紀初頭にスイスの商人たちが考え出した、銀行とその顧客の機密を
保持し、利益を守るためのサービスシステムが元になっているそうで、伝統的に顧客情報の秘匿性が
高いことで知られています。
その多くは一般の商業銀行とは違い、世界中の大富豪の巨額の個人資産を預かり、特別なサービスを
提供している。
口座の持ち主の氏名は伏せられ、代わりに、顧客の任意による管理番号が設定される。
顧客の身元を知っているのは、顧客担当行員と一部の幹部のみ。
管理番号が漏れても身元を割り出すことは不可能。
顧客同士が店で顔を合わせることを避けるために、来訪は完全予約制。
エレベーターも担当者が待っているフロアにしか止まらないのだとか。
そして、余程の事が無い限り、たとえ警察からの要請であっても、顧客情報を漏らすことはしない、
というのが、スイスのプライベートバンクの伝統的なこだわりであったわけです。
これらスイスの銀行の守秘義務は1934年には『銀行および貯蓄銀行に関する連邦法』(スイス銀行
法)で明文化されていて、第二次世界大戦前後には、この法律を盾に、ナチスの迫害を受けた人々の
財産を保護したとも聞きます。
一方で、その秘匿性が、マネーロンダリングや脱税など、犯罪に利用されることもあるため、当然、
批判も多いのですが、それで「スイス銀行法」が弱体化することはなく、顧客を守る姿勢が徹底されて
きました。
しかし、カゲロウの翅(はね)より薄そうな300年前の倫理観は、さすがに現代では通用しなくなり
つつあるとみえて、近年では一部情報公開に応じるケースもある模様。
例えば2009年には、アメリカのオバマ大統領(当時)が自ら、スイスのUBS Group AG(スイス最大
の商業銀行、プライベートバンク)に対して、アメリカ人顧客のリストを開示するように強く求めた。
米国内でのビジネスを停止されることを恐れたUBSはその要求を呑み、他のプライベートバンクもそれ
に倣ったという話。
そんな訳で、今では“スイス銀行”が過去数百年に渡って堅持してきた特殊なスタンスは、昔に比べれば
かなり、鳴りを潜めているのかもしれません。

さて、上述のような極めて高い秘匿性によって、顧客の絶大な信頼を勝ち得てきたスイスの銀行であり
ますが、どうやらここに来て、その足元が揺らぐ事態に陥っているようです。
スイス、チューリッヒの大手銀行、クレディ・スイスが、ライバル銀行のUBSに買収されるという
ニュースが世界を震撼とさせております。
しかも、クレディ・スイスが発行した『AT1債』という特殊な社債が、その買収によって無価値になる
という。
損失額は、日本円にして約2兆2千億円。
日本国内におけるクレディ・スイスの『AT1債』の保有状況は、さほど多くはないとの見方ですが、
金融関係者の間には動揺が走っています。
さらに、クレディ・スイスの顧客が次々に資金を引き揚げて、他所に乗り換えているらしいことも
分かってきました。
かつては、破綻するなど考えられなかったスイスの大手銀行が、この有様です。
時流を読み違えたのか歴史と伝統の上にあぐらを掻いた結果なのか、いずれにしろ、「大きくて古い」
だけでは乗り越えてゆけない、今の時代であります。


By Admin|2023年4月28日|2023年,ニュースリリース|


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