秋が急に深まってまいりました。秋といえば秋刀魚(サンマ)や鯖(サバ)など、秋が旬の魚がとても美味しくなる季節です。
ここで、「秋鯖は嫁に食わすな」といった格言がありますが、一般には「美味しい鯖を嫁なぞに食べさせるのはもったいない」という姑のイジワル心からの言葉と思われています。しかし実は正反対の意味もあり、足の速い(痛みやすい)鯖を食べて、お嫁さんが身体を壊さないように、という思いやりの言葉だったりもするのです。
日本語には、こうした、一般に知られている意味と、本来の意味がかけ離れた言葉も多くあります。こうしたことがあるのも、日本語の豊かさなのではないでしょうか。
つい先日までは、エアコンから出される冷たい風に身体全体を浴びせ、心地よさを感じていたのに、最近では、自動モードにしているためか微妙に緩い空気が吹き出されるようになっていました。手のひらを吹き出し口にさらすと、今度は温かさに心地よさを感じるようにになっています。急速な秋の深まりは、身の回りのいろいろなところで感じられるでしょう。サバは読みもの?
秋に美味しい魚といえば、秋刀魚や鯖を思い浮かべる人も多いでしょう。さて、年齢などをごまかすときに「サバを読む」という言葉を聞いたことがある人も多いでしょう。よく聞く言葉なので、深く考えたことのある人は少ないかもしれませんが、ここで言うサバといは、魚の鯖のことです。
江戸時代、日本の近海では鯖が多く穫れました。
当時、魚の取引は目方ではなく、数を基準に、何尾いくら、といったように行われていました。しかし、痛みやすい鯖の取引は一刻を争います。そこで、正確に数えず、目分量で取引されることが多かったようです。このため、鯖の取引では実際の数と、取引時の数とが一致
しないことが多く、鯖を読む(計る)という言葉が、実際の数と異なっているという意味で広く使われるようになったようです。
日本語には、このように、ルーツを知ると面白い慣用句や、実際に使われている意味と、本来の意味が違う言葉が多く存在します。
「役不足」は何が足りない?
よく誤解されがちな言葉に「役不足」というのがあります。「今度の仕事は、お前なんかじゃ役不足だよ」と言われてしまったりして、その人に対しては手に余る仕事という意味で使われたりします。
しかしこの言葉の意味は全くの逆で、役(つまりは仕事)が、その人にとって十分でないということになります。つまり、「彼にとって、そんな仕事じゃ
約不足だよ」といったように、仕事が軽すぎるときに使う言葉なのです。
情けは誰のためになる?
もう一つ、よく誤用される言葉として、「情けは人の為ならず」という慣用句もあります。「人に同情して何かしても、そんな気持ちでしたことは、その人の役に立たないから、しない方がよい」という意味。
しかしこれはまったく逆で、「人に情けをかけると、巡り巡って自分の為になりますよ」という意味。
なぜ誤解されるようになってしまったか、大きな原因は2つあります。一つは古語の「ならず」の捉え方です。この慣用句では、「人の為(にらない)」という意味ではなく、「人の為(ではない)」なのです。
そしてもう一つは「情け」の捉え方。現代では「同情」
や「哀れみ」と思われがちですが、古語では「情愛」や「優しさ」という意味だったのです。
他にもさまざま慣用句の誤用
普段は特に気にとめず使っている言葉でも、改めて調べてみると、思ってもいない意味だったということに出会えるかもしれません。
たとえば、「うがった見方」はひねくれた見方ではなく、物事の真相や本質をうまく捉えた見方だったり、「確信犯」は、悪いことだと知りつつ、あえて行う行為や犯罪というネガティブな意味ではなく、政治的や宗教的な信念に基づいて、自身のポリシーを貫く行動だったりします。
秋の夜長に、しまい込んである辞書を引っぱりだして、調べ直してみるのも良いかもしれませんね。